【日記】
毎年恒例の桜散歩で思うこと

春ですね。
僕は相変わらず、冬眠動物のように引きこもって音楽やってます。

先日、ふらっとひとりで近所の桜を見に、散歩してきました。地名に桜という文字があるだけあって、桜の数はかなりのものです。だからなのかなんなのか、桜散歩は毎年恒例です。

桜を見ると、いつも思いに耽ってしまいます。「去年の今頃は」とか「来年の桜が咲く頃には」とか。こういう感じで、時間の経過や巡りというのを感じてしまうのです。なぜだろう?

時間的なものにしみじみするのなら、別に年末年始でもいいじゃん?

ちょっと考えてみて思ったのは、やはり、桜という「生き物」を対象にしているから、こういう感情が起こりやすいのかもなと。

しかも、わかりやすい対象物、はなやかな対象物がある。風物詩?

年末や正月にはそういうものがそんなにないような気がする。初詣の時はちょっと思いにふけるかもしれないけど。

でも、桜という生き物との再会、巡り会いというのが、やはり、こういう感情を引き起こすのだと思う。

そうそう、ソメイヨシノは寿命が60年くらいらしく、そろそろ寿命を迎える桜が全国で増えているようです。(植え替えがすすんでいるみたい)

こういう話を聞くと、なおいっそう、はかなさとか、そういう思いが募りますな。

巡り会い、そして、寿命で、もしかしたらもう会えないかも、、、

ん?

これ、よく考えたら、人間も同じじゃん。^^

桜を愛でるのもいいけど、人間(家族、友達、仲間など)も、同様に愛でようと改めて思うのでした。

ではでは

P.S.来年の今頃は違う場所にいるかもしれないから、なおさら感慨深い桜散歩になりました。(近日引っ越し予定)

小形誠

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