<哲学>「夜中に甘いものが食べたい」その時、一流なら?今の幸せ、未来の幸せ。

【「夜中に甘いものが食べたい」三流は食べ、二流は我慢する、では一流は?】
https://president.jp/articles/-/43985

 

・「いかにして善く生きるか、どうすれば幸せになれるのか」これは哲学の中心的なテーマ

・「夜中に甘いものが食べたくなったら」を哲学的に考える

節制、抑制、放埓という言葉で人間を4つに分類(節制=節制ある状態を喜ぶ、抑制=いやいやながら欲望を我慢する)

節制のある人=節制のある振る舞いに喜びを感じる。葛藤がない

抑制のある人=理性と欲望が葛藤しつつ、理性が打ち勝つ。

抑制のない人=理性と欲望が葛藤しつつ、欲望が打ち勝つ

放埓な人=欲望のままに振る舞い、後悔しない。葛藤がない

・一流の人は「甘いものを我慢することで、今日も健康な食生活を送ることができなたな、と喜びを感じる」

節制は習慣の積み重ねによって形成される(人間とは習慣のかたまりである)

 

以上、記事引用、参考

 

 



 

今のよろこび、未来に向けたよろこび

 

結構、哲学的な話が好きな私です。^^

 

倫理学において、主要な4つの徳=枢要徳というものがあります。

 

賢慮=一つ一つの状況を的確に判断する「力」

正義=他者や共同体に適切に関わる「力」

勇気=困難な悪に立ち向かう「力」

節制=欲望をコントロールする「力」

 

今回の話はこの中の節制に関するものです。

 

節制のある人、抑制のある人、抑制のない人、放埓な人

 

「夜中に甘いものが食べたくなった」というような状況で、自分はどれに分類されるか。考えさせられますね。

 

ここまで、難しい言葉が並んでいますが、いつものように私なりにもう少しシンプルに考えてみます。

 

喜び(悦び)や幸せって、短期的なものと中長期的なものがある

 

私はそう思っています。

 

深夜に甘いものを食べる悦びは短期的なもの、いわば快楽のようなものです。

一方、甘いものを我慢して健康的であることは、中長期的なよろこび、幸せですよね。

 

快楽は瞬発的で「今」「面」

幸せは中長期的で「今から未来へ」「奥行き感」

 

上の記事は節制すること(中長期的な幸せ)の大事さを語っていますが、

 

私はどちらも大事だと考えます。

 

なぜなら、私たちは「今」を生きているから。哲学的?に言うなら、私たちの感じるこの世界は過去も未来も存在しません。「今」だけが実在です。

 

なので、今、よろこぶことをしたっていいじゃん、と私は思います。^^

(もちろん、確実に自己破壊につながるとわかる快楽はダメです。)

 

今、よろこぶことも大事だし、中長期的(未来的)によろこぶことも大事です。

 

節制(抑制)ばかりになれば、今のよろこびが皆無になり、今がつまらなくなるかもしれません。放埓ばかりのケースもその逆パターンでよくないでしょう。

 

やはり、その辺はバランス。

 

少し前に、自分のこと、自分の体を、自分の親友として扱う、という記事を読みました。

 

自分を客観視する時、その距離感は難しいです。でも、自分を親友として扱うという考え方は近すぎず、遠すぎず、いい距離感で自己客観視できる、良い考え方かもしれないと思いました。

 

なので、

 

「夜中に甘いものを食べたくなったら」を

「親友が夜中に甘いものを食べようとしていたら」

 

に変換してみて考えるのもありかもしれませんね。^^

 

とにもかくにも、

今も笑いたいし、未来も笑いたいですね。

 

ではでは

 

 

習慣が人を作るというのは本当にそうで、その人の習慣を知れば、たいていの人間性がわかってくると思います。

 

 

 

 

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