記憶は曖昧、結果は明瞭。やる気は曖昧、動機は明瞭。

【ほら、あなた自身、結果だけ見て「あの人は才能がある」と言っているでしょ?】
https://www.gentosha.jp/article/15822/

 

結果によって、過去の解釈もすべて変わってしまう

例:著者がベストセラーの本を出した途端、周りから「あなたはもともと文才ありましたからね」と言われるようになる。その根拠はどこにもないのに。

人間の記憶というのは、思い出すごとに、”自分が納得いく形”へと改ざんされてしまうもの

例;同じような人物評でも、周囲の談話は結果によって意味や表現が変わってくる。ノーベル賞の受賞者の場合は、「一匹オオカミ」「子どもの時から発想が違く、ユニーク」となるが、犯罪者の場合は「どこにも属さず、協調性がなかった」「まわりと違う考え方で和を乱していた」となる。

・つまり、人々は「結果」から遡って「物語」を作ろうとする

 

・心理学的に「やる気」という言葉は使わず、「動機付け」という言葉を使う→やる気があるかないかで考えるのではなく、動機があるかないか、で考える

 

 

以上、記事引用参考

 

 



 

結果は明瞭、記憶は曖昧。結果はインパクト、記憶はなあなあ。

 

おもしろかった記事なのでご紹介。長々とほとんど引用しましたが、そこまで長い記事ではないので、詳細はURLからどうぞ。

 

人間の記憶って、本当に曖昧だと思います。

 

結果によって、過去の解釈もすべて変わってしまう

人々は「結果」から遡って「物語」を作ろうとする

 

自分も知らず知らずのうちにやっているかもしれませんよね^^;

 

例えば、今の私は、「人とはちょっと変わった、おもしろい人間だ」と思われているかもしれませんが、将来、もしも犯罪とか悪いことをやった場合、「あいつは変わり者でやばい奴だった」という評価や記憶に一気に塗り替えられてしまうかもしれません。

 

逆に、悪い評価(記憶)だった人が、良い結果を出すことで、人々の評価(記憶)がひっくり返るケースも多々あるでしょう。

 

ある意味で、

 

過去に何があろうがなかろうが、

 

結果がすべて

 

、、とも言えるのかもしれません。

 

だって、結果で記憶(過去)が改ざんされたりするわけですから^^

 

だから、

 

今までがどんなに悪かろうが、これからの結果でひっくり返せると諦めない

今までがどんなに良かろうが、これからの結果でひっくり返させられると気を引き締める

 

、、という考え方もできると思います。

 

いろんなスキャンダルやニュースを見ていても、そのように痛感させられます。

 

大事なのは、やる気ではなく、動機

 

昨日の私もなかなかやる気スイッチが入らなくて、アイスを買って食べてからエンジンかかり始めました。^^

 

心理学的には「やる気」ではなく、「動機付け」という言葉を使うというのはおもしろいですね。

 

でも、たしかに、そうかもしれません。

 

「うちの子はやる気がない」「やる気を出させるにはどうしたらいい」などなど、私たちは普通に「やる気」という言葉を使っていますが、

 

「うちの子は動機がない」「動機付けはどうすればいい」

 

このように、、動機と言い換えた方が具体的でいいかもしれません。

 

なんかやる気が出ないなあ、なんてことはよくありますが、

なんか動機がないなあ、って言い換えると、なんか具体的だし、少し根本的原因が見えてきそうですよね。^^

 

「やる気」ではなく、「動機付け」で考えれば、

「何のために?」「どこに向かって?」「何を目指して?」のように、よりいっそう自分自身や、その人自身の根本的なところを見つめることができそうです。

 

以上、上の記事からいろいろと気付かされたのでした。

 

ではでは

 

改めて、思うのは、自分のことでさえ、断定できないのに、人様のことを断定するようなことなんてできないってこと。(自分のこともわかってないのに、人様のことなんてわかるはずがない。わかったように意見することなんてできない。おこがましい。)

 

 

 

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