自由時間が多すぎると幸福度が低下するという研究。自由時間の内容も重要。
【自由時間が多すぎると「幸福度が低下する」と判明】
https://nazology.net/archives/96452
・1日の自由時間が5時間を超えると、人の幸福度は低下することが判明(ペンシルベニア大学研究)
・幸福度は自由時間が増えるにつれて右肩上がりに高まったものの、2時間を超えると横ばいになり、さらに5時間を超えると低下し始めた
・1日15分(少ない群)と1日7時間(多い群)は、1日3.5時間(適度群)に比べて、幸福度が低いと報告
・少ない群では「ストレス度が高まる」、多い群では「生産性が低くなる」と報告
・幸福度が低い、少ない群と多い群の自由時間の使い方をさらに調べたところ、「非生産的な活動」をするグループでは、自由時間が多いほど幸福度が低下するのに対し、「生産的な活動」をするグループでは、自由時間が多くても、幸福度が「1日3.5時間(適度群)」と同じであることが示された。※生産的活動=趣味や運動、ランニング、非生産的活動=テレビやネットサーフィン
・つまり、自由時間が長くても、自分に有益な活動(生産的な活動)であれば幸福度は落ちない
以上、記事引用参考。
大事なのは「自由時間の多さ」と「自由時間の内容」
フリーランスで仕事をしていると、すごい忙しい時もあるし、すごい暇な時もあります。
ネガティブに考えると、
忙しいと、「ああ、自由な時間が欲しい、苦しい」
暇だと、「ああ、仕事がなくて不安だ、苦しい」
ポジティブに考えると、
忙しいと、「自分が求められていてうれしい!」
暇だと、「自由な時間があって、いろいろできてうれしい!」
、、となります。本当、ものは考えよう、ものは捉えようです。
このように、自由時間がたくさんあれば、イコール幸せというわけではありません。
上の研究は、そういったことを数値化、データ化したような感じがしておもしろいです。
研究内容からすると、
自由時間は多すぎても、少なすぎてもいけなくて、
自由時間の多さが危険水域であっても、その時間を生産的活動に使っていれば、大丈夫
、、ということです。
自由時間においての生産的活動は確かに大事だと思います。
ただ、
生産的活動=趣味や運動、ランニング、非生産的活動=テレビやネットサーフィン
、、と、上の記事では例をあげていますが、私個人的には、そんなに単純にか括れないと思っています。
私の勝手な定義をすると、
生産的活動とは、自分、もしくは他者に対して有益なこと、役に立つことを行うこと
、、です。
自由時間と幸福度を考えた時、さらに大事なのは、「この活動は生産的活動だと自分で思っていること、信じていること」です。
たとえば、自分の活動について、他人が生産的と思っても、自分が生産的と思っていなかったら、充実度や幸福度って、全然違うものになると思います。
もちろん、独りよがりもよくないですが、情報交換(収集)やコミュニケーションを行なった上で、「自分が考える、信じる生産活動」を行うことが大事だと思います。
このへんは、先日のブログの「幸福度と自己決定」ともリンクしてくる話かもしれませんね。
とにもかくにも、
自由時間の多さ
自由時間の中身(自分の思う生産的活動かどうか)
よく分析して改善していきたいですね。
ではでは
私は、自由時間があれば、必ず歌の練習をします。なぜなら、自分の音楽(歌)レベルをあげる行為でもあり、ストレス、うつ対策にもなり、良いことづくめだと考えているからです。まさしく、自分にとっての生産的活動です。